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題名:英工舎について 名前:英工舎の遠縁
2017/06/08(Thu) 23:21 No.5504 


はじめまして英工舎の跡を継いだ関東精器に入社した者です。今は合併でカルソニックカンセイになりました。来年創立80周年で会社の歴史の企画展パネルを作成する時にこのサイトを色々と参考にさせて頂きました。御礼とはおこがましいですが、社史などのオフィシャルな記録が殆どない英工舎ですが自分なりに調べた情報をシェアさせて頂きます。(長文で申し訳ないです)1949年の官報に英工舎保険組合の解散が認可されています。1951年に日産自動車からメーターの生産を依頼されます。1952年の日産技術舎「モーターエージ」に英工舎の自動車計器と銘打って広告を出しています。広告記載の情報から赤羽工場が本社になり、秩父、鴻巣、桐生工場が健在。(桐生は1949年に(株)桐生英工舎になっているが?)掛時計、目覚時計、腕時計、計測装置各種など、時計メーカとしても一応健在であったことが判りました。官報、モーターエージは国会図書館で調べました。TSUマークでないEIKOSHAのロゴの時計はこの赤羽本社時代の製品ではないかと思います。1956年に朝鮮動乱の特需景気の後の落込みで経営が危うくなった英工舎赤羽工場を日産自動車が買収、全額出資のもと、関東精器を設立。英工舎従業員を新規採用する形で引受ています。以上は弊社(関東精器)と日産の社史に記載があります。以上が情報の仲介者の介在しない公式の記録です。(株)鶴巻時計店英工舎の廃業、一部で倒産したとも言われながら(株)英工舎として事業を継続したのかの経緯は色々資料を当たりましたが残念ながらまだ良く判りません。鶴巻時計店経営陣は人員整理の他、各工場の独立採算制の導入を計画していると1949年1月の中央労働委員会速報に記載はありましたが。因みに東洋時計が戦前からの自動車計器の国内最大手で1949に死傷者を出した上尾労働争議が発生。国内自動車メーカが計器が入社できず難儀したそうで、矢崎の75周年特別サイトhttps://www.yazaki-group.com/75th/episode/development/007/にエピソードがあります。この影響で日産が英工舎に接触したのだと思います。

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